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「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」には大正〜昭和初期の時代の洪水について、次のとおり記述されています。  (以下「 」内の文章は同太田川史からの引用です。)

1.大正時代後半〜昭和3年の洪水について

「明治時代、太田川は比較的穏やかであったが(中略)、大正時代に入ると大正8年、12年、15年と相次いで大きな水害に見舞われた。(中略)大正時代後半の水害発生は昭和に入っても続き、昭和3年にふたたび太田川下流部に大水害が発生した。(中略)大正末から昭和初めにかけて頻発した水害は地元民をして太田川改修の要望を起こす契機となった。

2.昭和18年洪水について

「戦争の激化によって放水路工事が難渋していた昭和18年の7月と9月、太田川は激しく狂った。まず7月に梅雨前線の活動により総雨量477.8mmという大雨が降り、死者46人、行方不明46人、家屋全半壊332戸、床上浸水1846戸、橋梁流出126件、田畑流出185町歩という被害を出した。 その傷も癒えない9月に台風が流域を襲った。 台風の接近で18日から降り始めた雨は、岡山に上陸した20日に激しさを増し、河川の増水を引き起こした。西原の観測所では、最大流量6,700m3/秒」を記録した。  当時改修工事は計画流量4,500m3/秒を基準に進められていたため、これによって計画の見直しを迫られることになった。 被害は市内で1m以上の浸水をみ、家屋流出50余戸、家屋浸水11,545戸、橋梁流出36件となった。(中略)氾濫は可部より下流の全平野流域におよんだ。

3.昭和20年枕崎台風について

「枕崎台風は原爆被災直後の昭和20年9月17日に広島を襲った。全国規模の台風であったため、被害は(全国で)死者・行方不明者3,756人、全半壊家屋10万余戸となったが、そのうちの死者・行方不明者2,012人は呉市を中心とする広島県の被害である。(中略)西原の観測所では5,900m3/秒の流量を記録し、昭和18年の過去最高を記録した昭和18年9月台風につづくものであった。流域全体で死者13人、家屋流出615戸、浸水家屋8,711戸、田畑浸水2,400町歩という大被害を出した。