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改修計画の変遷

200年に1回の確率規模の洪水から広島を守るために

※以下、太田川の近年の治水の歴史を「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」を引用して記述します。

 

(1)昭和7年の改修計画

「太田川の改修計画の基本は、大正13年10月の内務省現地調査をもとに、昭和2年12月にはおよその骨子が決定され、水文資料(すいもんしりょう)の関係は昭和3年から3箇年にわたって調査された。計画高水流量は、これらの調査結果ならびに大正8年、同15年の洪水の痕跡からの 推算するとともに、流域面積・地勢・雨量等を考慮して4,500m3/秒と定め、そのうちの3,500m3/秒を派川山手川を改修して放流し(太田川放水路)、残りの1,000m3/秒を従来の市内派川に流す計画として、昭和7年に基本計画を決定した。」

 

表(1) 太田川の改修計画(昭和7年)

出典「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」 ※無断二次利用禁止

 

(2)昭和23年の改修計画

「昭和7年に決定された計画高水流量4,500m3/秒は、その後昭和18年、20年の洪水が4,500m3/秒を上回り、祇園町・可部町等が大被害を受けたことにより、流量改定の必要に迫られていた。第二次大戦後、洪水痕跡や、流出解析等から再度検討した結果、昭和23年に6,000m3/秒に改定され、放水路に4,000m3/秒、残りの2,000m3/秒を市内派川に流すように改訂した。」

 

表(2) 太田川の改修計画(昭和23年)

出典「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」 ※無断二次利用禁止

 

(3)昭和50年の改修計画

(昭和23年までの計画には)「ダムあるいは遊水地による調節計画は採用されていなかった。しかし、昭和25年、26年、40年、47年と相次いで出水したため、従来の計画高水流量が採択してきた年超過確率1/30年は低すぎるとし、水系を一貫した基本高水および計画高水流量の全面的検討を行うこととした。その結果、昭和50年に、基準点玖村の基本高水のピーク流量を12,000m3/秒と決め、このうち4,500m3/秒を上流ダム群により調節し、河道の計画高水流量を7,500m3/秒とする太田川工事実施基本計画が策定された。なお、この基本高水のピーク流量の超過確率は1/200年である。 

上記基本計画の策定に当たって次のことがらが慎重に検討された。 まず第一に、現在および将来の流域の姿をよく認識し、その中で河川のあるべき姿を描いて計画することが肝心である。 すなわち、最下流部に広島市をかかえる太田川の政治・経済・社会的な位置づけを考慮して、計画規模を決定した。 また、地理的、社会的に大幅な引堤が困難であるため、上流ダム群による大幅な洪水カットが計画に採り入れられた。 さらにまた、太田川河口デルタに立地する広島市街地の特殊性を考慮して、高潮災害に対する高潮堤の構築も計画に採り入れられた。」(※WEB管理者注:上流ダム群の中には中国電力のダムは含まれていません。)

 

表(3) 太田川の改修計画(昭和50年)

出典「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」 ※無断二次利用禁止