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上流・支川改修

太田川デルタだけではなく、上流や支川の改修も進められてきました。

※以下、高瀬堰建設の経緯を「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」を引用して記述します。

 

(1)概要

「 太田川の改修工事は、昭和7年の直轄改修の着手以来、幾多の変遷をたどりながら進んできた。しかし、その重点は放水路など下流部に置かれていたため、中流部や上流・支川のほとんどは未改修のまま残されていた。 時あたかも放水路の通水が始まった昭和40年、6月には支川三篠川、7月には派川古川が出水により大きな被害を受けた。」(太田川史より)

 

(2)三篠川・根谷川・太田川上流の改修

三川合流点付近と改修後の三篠川(昭和57年頃)

出典「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」 ※無断二次利用禁止

@三篠川

「三篠川においては、(昭和40年6月20日に計画高水流量1,000m3/秒を大幅に上回る1,400m3/秒の出水となったため、昭和50年に流量改訂を行って計画高水流量を1,850m3/秒に高めた。 また、沿川の都市化が急速に進んでいることを考慮し、緊急3ヵ年計画を策定して改修を急いだ。 改修は災害復旧との合併施工で行われ、中深川地区は大幅な引堤とし、昭和43年5月には下流部の概成を見た。 これより先、昭和40年3月に、三篠川の下流部4.25kmが直轄区域に編入されたが、42年5月にはさらに5.2kmが追加され、現在も築堤・護岸などの工事が行われている。」(太田川史より)

A根谷川

「太田川と根谷川との河間地に発達した可部地区では、高度成長期を通じて宅地化がいちぢるしく進行した。 しかし根谷地区の河道が狭少なうえ、堤防が低く貧弱であるため、洪水に対する危険度が年々高まっていた。こうした状況に対処するため、昭和41年3月および昭和44年3月に5.45kmを直轄改修区域に編入し、43年度より本格的な改修を始めた。 工事は下流部約3kmについては引堤を行い築堤・護岸を施工し、昭和56年度までにはほぼ完了した。」(太田川史より)

B太田川本川上流

太田川本川 湯来町久日市付近の改修状況

出典「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」 ※無断二次利用禁止

「昭和47年7月集中豪雨では、デルタ地帯は放水路がその機能を発揮して被害はなかったが、上流の戸河内・加計・澄合・飯室地区などでは、河川の氾濫・浸水で甚大な被害を受けた。 この大災害を契機に昭和50年4月、51年5月および52年4月の3回に分けて広島市安佐北区可部町から山形郡戸河内町(現安芸太田町)までの56.4kmが新たに直轄改修区域に編入された。 

出典「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」 ※無断二次利用禁止

この区間は殆どが未改修の状態におかれていた。 そのため、曲流を繰り返す太田川の河谷低地に立地する集落を守るため、築堤・護岸を施工することとし、緊急を要する箇所から逐次改修を進めることにしている。 しかし、全区間の改修には、多大な費用と歳月を要すると見込まれており、(中略)温井ダムを始めとする上流ダム群と関連させながら、整備していく必要がある。」(太田川史より)

※WEB管理者注:ここでいう上流ダム群には治水機能を持たない中国電力ダムは含まれていません。

 

(3)古川の改修

「一方、かつての太田川本流の河跡であり、出水時には洪水流の分流路的役割を果たしてきた古川(旧計画では計画高水流量6,000m3/秒のうち4,300m3/秒は幹川に、1,700m3/秒は古川に分流する)では、昭和41年から44年にかけて分流口の締切が実施された。 古川は、昭和42年5月に安川合流点から太田川までの2.5km、昭和46年3月には旧分流点までの7.2kmが直轄区域となった。」(太田川史より)

※古川の「せせらぎ公園改修」については別途記載します。