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※以下、太田川の近年の利水の歴史を「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」及び「広島市郷土資料館調査報告書第17集 八木用水 平成16年3月 広島市郷土資料館」を引用して記述します。

 

 

(1)広島市内の2大農業用水、八木用水と川内用水

太田川(広島市内)には旧国道54号線に沿って太田川橋上流(鳴の取水口)から太田川放水路の分流点までを流下する八木用水と高瀬堰から流下する川内用水の2大用水があります。

 

(2)都市化で急変する八木用水と川内用水

 @八木用水

 八木用水の歴史のポイント(開削、受益面積の移り変わり と水質の悪化、八木用水地域の下水道処理面積と水質の変化の様子)を「広島市郷土資料館調査報告書第17集 八木用水 平成16年3月 広島市郷土資料館 」から抜粋します。詳しくは、本書を是非ご覧になってみてください。

「広島市郷土資料館調査報告書第17集 八木用水 平成16年3月」

八木用水の歴史が満載です。

 

1)歴史のポイント

■いつ誰が計画したのか?

 1767年に西原村庄屋で沼田郡里組の割庄屋を務めていた嘉兵衛の元に祇園町の「卯之助」という大工(今でいう土木屋さん)が西原町に用水路を引く新しい計画をもちかけたのがきっかけ。・・・沼田郡の代官所の認可が降りるのは当時の財政事情からかなり困難だったようです。

■開削工事はいつから始まったのか?

 翌年1768年4月4日に普請所(今でいう工事事務所)が立ち上げられ、早々に工事開始されました。

■工事はいつ竣工(完成)したのか?

 1768年4月28日に完成、翌29日に通水・・・

 「!」たった25日で完成???

 すごいですね。このスピードの理由は3つほど考えられるそうです。

  一つ:卯の助が実際に工事を手がけたのは十歩一河原の取水口から

      西原村の入り口までで、今の全筋ではなかった。

  二つ:当初、水路の大部分は地面を掘っただけの素掘りだったと考えられる。

  三つ:卯之助の周到な事前準備(何年にもわたる現地調査と入念な測量)

■当初から八木用水とは呼ばれていなかった

 八木用水の由来を記した石碑を「定用水碑」というように八木用水の古くは「定用水」と呼ばれていました。 今の「八木用水」という名称が書かれた文献は昭和23年に広島県農地部耕地課が作成した「県下農業用水施設調書」に「八木水路」と見えるのが、これまでに確認できた最も早い例だそうです。

 

2)八木用水の受益面積の現象と水質の悪化

 昭和35年(1960年)に土地改良区と中国電力との間で契約が結ばれたことで、八木用水は取水の面からも、また財政的にも安定するようになりました。 しかし、皮肉なことに、このころから周辺の都市化によって八木用水の農地(受益面積)が急速に減少していったのです(下図参照)。 これにともなって問題になってきたのが八木用水の水質の悪化です。 昭和40年代以降急速に都市化が進むにつれて、八木用水の水質は特に下流部で急激に悪化していきました。

八木用水の受益面積の移り変わり 

データ提供:広島市郷土資料館 ※無断二次利用禁止

 

 水質悪化の原因は、八木用水が都市化・農業の近代化に伴う下水道として使われるようになったことです。 この結果、昭和50年頃の八木用水は「沿線の水田地帯が市街地化して、今は見る影もないドブ川となり・・・(以下略) by 渓口誠爾・花谷武著『広島県の溜池と井堰』」という状態になってしまいました。

 

3)疎水回復への道のり

 こうした状況を改善するため、昭和59年(1984年)度から八木用水流域で公共下水道の設置工事が開始され、平成元年(1989年)からは供用が開始されました。 その後、下水道の普及率は徐々に上がり、平成10年度末には面積比で50%を超えました。 このころから八木用水の水質が良くなってきたそうです。

八木用水流域の下水道普及率と水質(BOD)の関係

(データは「広島市郷土資料館調査報告書第17集 八木用水 平成16年3月」による)

※水質データは八木用水流末地点)

※無断二次利用禁止

 

 なお、平成7年(1995年)からは、非灌漑期の水量を確保するため、中国電力太田川発電所から供給される10月末からの5月末までの水量をそれまで毎秒0.2m3だったのを毎秒0.5m3に増やしたそうです。

 

4)八木用水の今

以下2006年2月2日にWEB管理者が実際に見た八木用水の現地写真を掲載します。(撮影者はWEB管理者)

 (※後日位置図掲載予定、国土地理院の承認も必要であるため、しばらく時間がかかりそうです。)

 

@鳴の取水地点(今はポンプアップで取水しています)

 

A旧第二樋門この先からはコンクリート張りの水路になっていて・・・

 

Bこのようにポンプアップされた水が一旦入ります。

 

Cほぼ堤外地(河川側)の水路を通って太田川発電所からの給水地点まで流下します。

 

D新太田川橋上流にある太田川発電所(今の本格的な八木用水はここが出発点)

 

E太田川発電所敷地内にある八木用水の出発点

発電用水から供給を受けます。

 

Fいざ、堤内地(川ではない方)に引き込まれます。

 

G緑井八丁目あたりの八木用水の様子。

 

H緑井七丁目にある宇那木神社の前を流下します。

 

I緑井二丁目のちょっとした緑樹帯の間を流下。

 

J緑井一丁目の公園の前の沈砂地を経て、

この下流にある安川の下をサイフォンで抜けします。

 

Kいよいよ太田川に排水される前に2筋に分岐します。

右から来た水は向こう側は安川へ、こちら側は太田川本線に排水されます。

 

L太田川本川への出口です。

撮影は2月2日でしたが、小さいお子さんが八木用水の水で遊ばれていました。

 

 

 

 A川内用水

 「太田川本流と古川に挟まれた河間地には、温井・中調子・中筋・東野・東原の5地区があり、水田150haと畑50haを有する。(WEB管理者注:太田川史が編纂された時点とは異なり、平成18年時点では、広島市のベッドタウン化、減反政策に伴い、この地区の農業利用土地面積は急変しつつあります。) この河間地を北から南へ貫流する上井手・中筋井手・下井手の3用水の総称が川内用水である。(中略)

川内用水管理組合事務局様提供の図面を参考に作成 ※無断二次利用不可

 

この用水のかつての取水口は八木の比原河原の北端にあり、対岸の玖村河原に向かって河道を斜めに約300m堰き止め、その水を約600mの堤外水路で南下させ、3箇所の樋門から堤内の用水路に取り入れるものであった。 このことは同時に洪水の度ごとに取水堰の流失と堤外水路の埋没をこうむる原因ともなっていた。(中略) 昭和18年洪水の翌年、三つの樋門は最上流の上井手用水樋門に統合されたが、これをさらに近代的恒久的井堰に改善することが建設省に要望された。 この構想は後に高瀬席の事業計画の中に採り入れられ、事業化され、現在にいたっている。 都市化による用水汚濁の問題はここでも深刻になっている。 米作減反政策の影響もあって、農家経営は水田から畑作に移行しているが、それに必要な灌漑水を汚濁の進む川内用水から地下水に依存するケースが多い」(太田川史より)

 

川内用水の出発点でる高瀬堰沈砂池(WEB管理者撮影)

(手前の樋門から暗渠で導水された水が、川内用水と第2古川に注ぎます)

 

右が上井手用水、左が中筋用水と下井手用水への流路(WEB管理者撮影)

 

中筋用水のH18年時点の様子(WEB管理者撮影)

 

下井手用水のH18年時点の様子(WEB管理者撮影)