太田川の利水

太田川・Fanの集い

 

contents

 ●HOME

 ●基本的スタンス

 ●太田川の概要

 ●更新のお知らせ

 ●太田川の写真

 ●太田川上流ニュース

 ●太田川下流ニュース

 ●四季太田川バックナンバー

 ●太田川の歴史

 ●洪水・高潮災害

 ●治水の歴史

 ●土砂災害と砂防

 ●防災情報

 ●渇水被害

 ●太田川の利水

 ●太田川の水力発電

 ●瀬と淵

 ●環境(生物他)

 ●リバーサイドウォーキング      

 ●リバーサイドアーティスト      

 ●ポップラ・ペアレンツ・クラブ      

 ●資料館      

 ●みなさんの声      

 ●リンク      

 ●TOPの絵について      

 

 サイト管理者

   プロフィールはこちら

 

 

●農業用水

●都市用水

●内水面漁業

●舟運

●広島城お堀

●潮止め堰

●縮景園

●古川


内水面漁業

詳細は↓の一覧をクリックしてください。

●漁業組合

●統計

●しじみ

●あゆ

●モクズガニ

●ます

●その他

 


あゆ漁

 

2006.6.8 安芸太田町内加計地区でのあゆ漁(WEB管理者撮影)

 

■アユの一生

一年でその一生を終えます。秋に河口から10kmくらいの地点まで下った成魚はそこで産卵し、そのほとんどはそこで一年の命を終えます。 繋がれた命である卵は、孵化後、川を下って海に出て、寒い冬を海で動物プランクトンを食べて過ごします。

(※太田川水系で孵化したアユは、太田川河口から海に出た後、冬の間、太田放水路〜八幡川にかけての西部沿岸で生息しているようです。)

翌年の春に6,7センチに育ったアユは再び川に入って遡上し、中流域まで達すると縄張りをつくり、石や砂礫に着生した「水アカ」「コケ」と俗称する藻類を削り取って食べます。(削り取った跡を通称「はみあと」といいます。) 

 


 

■太田川のアユを記述するにあたって

鮎の記述にあたっては正直かなりドキドキしています。

やはり皆さんにとって鮎という川魚は一番身近であるでしょうし、それだけに関係者の方々も大変なご努力をされておられます。

このサイトでは「太田川史(建設省《現国土交通省》中国地方建設局 太田川工事事務所 平成5年3月発行」を参考にしつつ、

●広島県農林水産部さん

●太田川漁業協同組合さん(平成18年3月現在、組合員数1,400名)

●広島市水産振興センターさん

●広島県栽培漁業センターさん(竹原)※電話による聞き取り

●広島県立水産海洋技術センターさん

(いずれも平成18年度の名称)

にそれぞれ聞き取りを行い、記述を進めます。

 


 

■種苗放流生産と、自然遡上アユの再生、2本立てのとりくみ

かつて、アユは天然のもの(自然の循環の中の魚)であり、太田川も同様でした。

「太田川史」には江戸期の太田川の鮎漁についてこう記述されています。

「深い谷間の中を大きく曲流する太田川中流部には、激しく波立って流れる早瀬があり、またゆるく淀む深い淵があって、魚の生息にとって好都合なところが多い。 とくに、川底に玉石が重なり合い、水が白い波を立てて流れる早瀬は、アユにとって餌場としても隠れ場所としても適している。 そのため、太田川ではアユ漁が昔から盛んであり、藩の支配下に置かれていた。 寛永7年(1630)に広島藩から将軍家に献上したアユ7,200尾のうちの4,200尾は太田川産といわれる。 (中略) かつては、海から河口に入った稚アユは、群をなして上流を目指して遡っていた。 (以下略)」

 

さて、現在はどうか?といいますと、全国的に諸々の事情から種苗放流生産が主流です。(※種苗放流生産:人工で孵化させたアユを体長さ8cm程度になるまで人間の手で飼育し、春に放流 して6月からの漁に備える方法)

 

太田川ではこの種苗放流生産でアユの絶対量を確保する取り組み(※これもとても大切!)とともに、 自然遡上アユ(かつて主流であった自然の循環の中でのアユ)の再生に向けて、秋に親魚(卵を抱えた時期の鮎)を放流するという自然循環の再生に向けての取り組みもなされています。

 


 

■冷水病との格闘

平成13年〜平成14年頃、太田川でもアユの冷水病との闘いが続いていました。 当時の歩留まり(放流した稚魚に対して生き残っていた率)は2割くらいだったということです。

その後、冷水病に強い海産アユの血を引き継いだ種苗の放流に移行する等のご努力の甲斐あって、平成17年時点では8割くらいに歩留まりが上がったとのことです。

 

注)

冷水病:もともとは北米のマス類の病気、低水温期の稚魚に発生し死亡率が高いことが病名の由来。 近年、日本全国の河川でそれがアユにまで伝染し、問題となっています。

 


 

■種苗放流生産

まず、アユの養魚場ってどんな所なのだろう?と思い、2006年3月9日に太田川漁協さんの養魚場を訪ねました。

 

 

WEB管理者撮影2006年3月9日(太田川漁業協同組合さんの養魚場にて)

 

4月下旬〜5月の放流に向けて稚アユが順調に育っていました。 当初私は存じ上げなかったのですが、実はこの稚アユのほとんどは「中間育成」といって、広島市の水産振興センターで人工孵化されて、1月にここへと運ばれてきたアユたちです。 

平成18年1月に水産振興センターさんから太田川漁協さんに引き渡された稚アユの数は110万尾だそうです。

水産振興センターさんでの人工孵化の様子は

●広島市水産振興センターさんのHPのアユのページ(←クリック)をご覧下さい。

 (※直リンクの許可はいただいております)

 

さて、この太田川独自で種苗生産されている鮎の系図を見てみましょう。

※広島市水産振興センターさんへの聞き取り結果をWEB管理者が図にしたものです。

平成4年〜平成7年の海産アユ(天然遡上アユ)との交配は、太田川水系内での再生産

(自然循環への適応)を目的としたもののようです。 この時期多く放流されていた琵琶湖産アユは産卵時期が早すぎて、瀬戸内海の水温に適応できなかったため、「自然の血」を入れたということのようです。

 

結果として、この海産交配系の鮎の育成・放流を継続してきたご努力が冷水病対策として効果があったということのようです。

 

近年の放流実績と計画
平成17年春 130万尾
平成18年春 110万尾(予定)

 ※太田川漁業協同組合分のみ


 

自然遡上アユの再生へのとりくみ

 

関係者の方は「親魚(しんぎょ)放流」と仰っています。

稚魚の成育に望ましい瀬戸内海の水温に見合う時期(11月くらい)に産卵する黒瀬川(広島県呉市)の天然アユの血筋を引いた親魚(卵を抱えた時期の鮎)を放流するという循環再生型の取り組みをなさっておられます。

元々の親魚を黒瀬川河口付近で捕獲したのは平成13年秋頃だそうです。 その親魚をまずは竹原にある「広島県栽培漁業センター」に持ち帰って孵化させ、ある程度生育されたものを太田川漁業協同組合の養魚場で育て、10月中旬に高瀬堰の下流へ放流されておられるのだとか。

 

近年の親魚放流の実績

平成15年秋 5,000尾
平成16年秋 10,000尾

平成17年秋

12,000尾

 

その再生循環効果については今現在検証中であり、高瀬堰の運用も含め色々な試行錯誤がなされています。(一部は本サイトの●四季太田川バックナンバーでも紹介。)

 

また、先日2006年4月17日には遡上アユの実数を把握すべく、広島県立水産海洋技術センターさんが、大芝水門下流に定置網を設置されておられました。

 

WEB管理者撮影2006年4月17日(旧太田川大芝水門下流にて)

 


 

■様々な取り組みと要望事項

 

1)

2006年4月18日付の中国新聞でも大きく扱われていましたが、広島の都市用水確保の要でもある●高瀬堰の運用について関係各機関が様々な取り組みをなさっておられるようです。 (この秋から今までの左岸ゲートでの放流からより水脈に近い右岸ゲートでの放流に切り替える試みをされるとのこと)・・・自然落ちアユ、自然降下稚アユの海と川との繋がりの確保が目的だそうです。

(これまでにも、高瀬堰ゲート夜間全開などの試みも模索されておられました。)

 

2)

遊漁者が川にもっともっと近づきやすくするための工夫がほしい、とのこと。

(要望事項)

 

3)

今は平常時に殆どの河川水が流下している旧太田川や天満川を稚魚は下っていると思われるので、その通り道をしっかり確保してほしい。 さらには、稚アユの育つ海と川がもっと近い放水路をアユの通り道として考慮してほしい、とのこと。

(要望事項)

 


 

■いよいよ放流間近!

 

WEB管理者撮影2006年4月13日(広島市水産振興センターにて)

実際に放流される稚アユと同じ時期に孵化したアユたちです。

大分育ってますね!